首里高校正門にあるがじゅまるの大木。
戦前から戦後を通じ一中時代から現在の首里高校に至るまで沖縄を支える若人を見守り続けたがじゅまるです。沖縄戦においてこの高校からも多くの学徒兵が戦闘に動員され亡くなりました。
(ブログ一中健二の塔参照)
沖縄戦において首里は司令部壕があり一番の激戦地となりました。
現在、校舎の建て替えが行われておりますが、その際何度も不発弾(爆発する恐れのある沖縄戦当時の爆弾)が発見され、撤去作業で度々近隣住民が避難させられるという戦後67年も経つ今でも沖縄戦の爪痕の色濃く残る場所となります。
首里高校から龍潭池に向けての龍潭通りは、景観条例により赤瓦屋根の建物が並ぶ趣のある景観になっております。