首里場内に、去った沖縄大戦においての
日本軍第32軍の司令部壕がありました。
総延長400メートル余りの細長い壕の中に
常時約1300人余りの日本兵や看護女生徒などが
いました。
米軍の圧倒的な戦力に押され、日本軍は司令部壕を捨てそれより南部への撤退を余儀なくされます。
それらは日本本土への米軍の上陸を遅らせるためのいわゆる「捨て石作戦」でした。
牛島中将率いる沖縄守備隊は1日でも多く米軍を
沖縄に留め消耗させるための持久戦を取り、その為長引いた沖縄戦により実に沖縄県民の3人に1人に
当たる約12万人が沖縄戦で犠牲になったといいます。