沖縄戦にて若くして戦地に散った生々しい生徒らの顔写真。親や家族への悲痛な遺言など当時の悲惨さを痛烈に感じさせる資料館です(入館無料)
第二次世界大戦の最中、昭和二十年三月二十七日、沖縄県立第一中学校(首里高等学校の前身)においては、米軍の砲爆撃下この地で卒業式が行われ、第五学年生と第四学年生が同時に卒業し、ただちに第三学年生と共に鉄血勤皇隊が編成され、第五砲兵司令部に配属された。また、前年十一月から通信隊要員として教育訓練を受けていた第二学年生は、三月二十八日、少年特別志願兵として電信兵第三六連隊に入隊を命ぜられ、各無線中隊に配属された。終始軍の一員としてその責務を遂行した。
非戦闘員であるべき学業半ばの若き二百有余の学徒兵は、戦争で死んでいった。 先の戦争では、教職員、学徒兵を含め、八百有余の同窓の方々が戦没された。